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戦国武将たちの辞世の句

ネタ

皆様お疲れ様です。最近すこし忙しくなり、仕事中に書けなくなってきました。

最近嬉しいことがあったんです。

なんと、メルカリ後払いの枠が復活してました!!👏👏👏

私の借金推移も是非ご覧ください。安心しますよ。

これは・・・すごいことですよ。
借金持ちの皆さんは、借入先の枠を増額したことはありますか?

増額には、審査があります。
その審査を経て、借入金額が増えるのです。

大手消費者金融などは、年収と借入金額と返済状況で機械的に審査をするため、要件さえ満たしていれば増額されるのです。
しかし、地方銀行のローンは違います。

まずは、その銀行のキャッシュカードを持っているか?
給与受取口座に設定しているか?
などなど、人情的な部分をかなーり見てくれます。

そういった、地銀などで増額審査に受かると人間的に認められた気分になります。
言い表すならば、給料が増えたときのような感覚になります。

皆さんは戦国武将ですと誰が好きですか?
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、伊達政宗・・・

数多くの戦国武将達がいました。
彼らは「戦国武将」なので、戦いに明け暮れていたわけです。
戦いがあるということは、「死」もあります。

かっこいい戦国武将は、死に際もかっこいいもので、彼らは死ぬときに「辞世の句」というものを書き記し志半ばに死んでいったのです。

ということで今回は・・・

かっこいい辞世の句を残した戦国武将ランキングです。

第5位 豊臣秀吉

個人的にかっこいいと思う辞世の句、第5位は豊臣秀吉です。

豊臣秀吉は、戦国時代から安土桃山時代を生き抜いた戦国武将で、天下統一を果たした天下人です。

秀吉は、「木下藤吉郎秀吉」のという名で織田信長の家臣として仕え、若くして功績をあげました。

信長が明智光秀に本能寺の変で討たれた後、山崎の戦いで明智光秀を討ち、織田政権から豊臣政権になりました。

政権を握った後、太閤検地・刀狩りなど様々な政策を行った秀吉です。

よく言われている農民の出身から、天下人になるという偉業を成し遂げた秀吉ですが、死因は老衰といわれております。

そんな秀吉が残した辞世の句はこちら

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

訳「人生はまるで露のよう(に儚い)。大阪での栄華の日々も、儚い夢のようだった。」

農民の出ながらも、織田信長という大将に仕え、天下を統一したことが夢の日々が夢のように感じていたんだなと考えられます。

人生は儚いといわれていますが、こんな激動の人生を歩んだ人が言うと更に説得力がマシますね。

第4位 吉田松陰

個人的にかっこいいと思う辞世の句、第4位は吉田松陰です。

吉田松陰は、江戸時代後期の日本の武士です。

明治維新において活躍した武士たちへ思想や教育を行った「松下村塾」などで有名です。
とにかく、とても頭の良い方です。

吉田松陰は自身が15歳の時、アヘン戦争で清国がイギリスに敗北したことで「西洋文化」に対する興味を持ち、「日本も西洋を敵にしたら危ないのでは?」という懸念がありました。
裏を返すと、西洋文化へのあこがれがあったようです。

そして、松陰が投獄されることとなった1854年の「ペリー来航」。
松陰は、ペリーの黒船へ小舟で接近し、西洋へ連れて行ってほしいと直談判します。

しかし、それは叶うことなく投獄されてしまいます。
その後、1年ほどで実家に幽閉となり、松下村塾を開講し明治維新で活躍した武士たちを育てます。

そして29歳の時に、井伊直弼らによる「安政の大獄」で反幕府側ということで処刑されてしまいます。

そんな、日本を愛するあまり西洋文化への憧れや幕府に対する危惧をしていた吉田松陰の辞世の句はこちら・・・

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置まし 大和魂」

訳「この身が武蔵野の地で処刑されようとも、思想は生き続けるのだ」

これは、松下村塾の生徒に対する言葉だともいわれています。

そして、もう1句残しています。

「我今為国死 死不背君親 悠々天地事 鑑照在明神」

訳「私はいま国の為に死にます。ここで死ぬからといって君主や両親には背いていません。天地の間で人の営みははるかに続く。これまでの行いを神はしっかりと見てくださっている」

やっぱり日本のことを愛していたんだなぁと感じる一句ですね・・・。

現代の日本が、いい意味でも悪い意味でも諸国の文化を取り入れることができていることを見てどう思いますかね。

第3位 紫式部

個人的にかっこいいと思う辞世の句、第3位は紫式部です。

平安時代中期の作家・歌人です。当時日本でできたばかりの「ひらがな」を使って、恋愛小説を執筆しました。その小説こそ「源氏物語」です。

また、紫式部が作った和歌が集められている「紫式部集」なども歴史の授業で学びましたね。

しかし、誕生年や没年齢など詳しいことが分かっていないということです。

死因もわかっておりませんが、38歳という年齢で死んでいます。
当時の寿命がそれぐらいなのか、それとも夫に藤原宣孝を持つため、暗殺されたのか・・・

そんな、紫式部が詠んだ辞世の句はこちら。

「誰か世に ながらへて見る 書きとめし 跡は消えせぬ 形見なれども」

訳「死にゆくものが書いたものを、いったい誰が読むだろうか。書いたものは消えることがない形見ではあるけれど」

紫式部はまだ、死にたくなかったんだな・・・というのが分かるのと、自身の作品に対しての自信が見える一句ですね。

謎多き女はいいもんです。

第2位 細川ガラシャ

個人的にかっこいいと思う辞世の句、第2位は細川ガラシャです。

この方は、明智光秀の正室三女で本名は「明智 玉(珠)」とされています。
細川ガラシャという名は、彼女がクリスチャンであったため、クリスチャンとしては「細川ガラシャ」と名乗っていたといわれています。

織田信長の命により、家臣の娘は結婚する相手が決まっていたようです。
結婚した後、子供も2人産まれたようです。

しかし、明智光秀が反逆をし織田信長を討ち取った「本能寺の変」ののち明智一族は追われ、明智光秀は殺されました。

その後政権が豊臣秀吉に移り、免罪とはならないものの普通に暮らすことができたようでした。
その時に、カトリックの教えに惹かれクリスチャンになったようです。

彼女の最後は壮絶でした。

夫が戦で不在になり、その時に「自分の不在の折、妻の名誉に危険が生じたならば、日本の習慣に従って、まず妻を殺し、全員切腹して、わが妻とともに死ぬように」と屋敷を守る家臣たちに命じました。

その留守の最中を狙ったのが、石田三成です。

ガラシャは石田三成により自宅を兵で囲まれた際、しっかりと言いつけを守ります。
しかし、彼女にはクリスチャンとしての思想もあり「クリスチャンは自殺をしてはいけない」という教えを守り、家臣に自身の体を槍で貫かせます。

その際に彼女が詠んだ辞世の句はこちら・・・

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

訳「死ぬべきときを知っていてこそ、花は花となり、人間が人間たりえるのだ」

花も人間も散り際を知っているからこそ美しい、そう詠んだようです。

光秀の娘と自身の最後など、壮絶な人生だった彼女が詠んだこの句。胸が痛くなります。しかし、かっこいい散り際です。

第1位 織田信長

第1位は、織田信長です。

この人を抜きに戦国時代は語れませんね。

織田信長にかんしては、知っている人も多くいらっしゃると思いますので、割愛です。

織田信長の辞世の句として有名なのが、

「人間五十年、下天(化天)の内をくらふれハ、夢幻の如く也」

訳「人の世の五十年ごときは、天上界の下方の時間で見るならば、ほんの夢や幻のようなもの」

と言われております。

しかし、家臣である明智光秀に本能寺で討たれてしまう「本能寺の変」にて詠んだとされている辞世の句はこちら・・・

「是非に及ばず」

かっこいい・・・

これは、様々な憶測があるようです。

・明智光秀に追われている際、家臣たちに武器を持てという前向きな意味

・明智光秀に討たれたことを、「仕方がない」という気持ちを歌った

個人的には、後者のような気がします。

天下人になる為に、家臣や敵に対して様々酷いこともしたでしょう。そんなことをわかっていて、自身にもこういう場面が訪れることはわかっていた。だからこそ、案ずる必要はない。という風に思えます。

最近「信長のシェフ」を読んでいますが、織田信長という人を知れば知るほど冷徹でかっこいい人間なんだなぁと感じます。

いかがでしたでしょうか。

知れば知るほど面白いのが日本史ですね。

次は、幕府から明治維新のあたりも紹介したいと思います。

信長のシェフを読むなら!!

戦国時代を生き抜いた武将たちのマンガはこちら!!
この記事を書いた人
v1000@tkhy

私たちは多感でギャンブルが好きな一般的な30代青年です。
自分の城を持ちたいと思い、「まずはブログだろ」ということで始めさせていただきました。
負けた、勝った、明日打ちたい台など様々な今日起こったこと、これからしたいことを綴っていければと思います。

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